昭和40年10月29日 夜の御理解
先ほど、お道の新聞を読ませて頂いておりましたら、ある先生、ま随筆風に書いてある中に、世の中に分からん事が沢山あるという話がのっとりました。あるまぁおビールども頂きながららしいんですね、ところがその相手の一人がまぁそんなことはないて、もう近代科学を持ってするならば、その段々その分からないと言ったようなことが学問的に分かるようになって来たと。そう言われたと。
その、先生がそんなことはないっち。なら俺が一つ、まぁ分からん事を一つ、もうどげん科学が医学が発達しても分からん事が沢山あるち。どういう訳あの豚の尻尾は短いかち。分からん。どうして人間には目玉が二つあるかち、一つで良いじゃないか、真ん中にいっちょありゃええじゃないか。あんたどうでも二ついると言うなら後ろ側に付けたら、お前は交通事故にもあわんですむじゃないかっち言ったような風に言うていったら本当に分からんことばっかりなんですけどね。
私なあんまりそういうその、まぁ冗談に言いたいような分からん事ではなくて、本当に信心させて頂いておりますと分からないことが沢山あるですね。私自身をそれを痛感いたします。今日は、あの敬親会でございましたから、もう本当に熱心な、今日はあの、あのゲントウの、あれをずいぶん長く若先生が、やって見せてくれましたから、私も一緒にお付き合いさせて頂いた。
どうもあの暗い、暗くしてからこの、襖を閉めてしまってから気分が悪くなったんだろうかとこう、私は思ったんだけれども、そうでもないらしい、開けてもやっぱり何か知らん胸がむかむかむかむかしてくるんですね。それでももう敬親会の人達がもう楽しみ、もう立ちなさい、今日ばっかそれ思いましたんですけども、立ちかかってからまた座って話される。せえがっては、もうほんにもうここにこげんしてから。
親先生と一緒にお話しよるともう小便まり行くとでもおしかですにゃっち言うちから、もう小便もこらえかっとっち井上さんな言いなさるぐらいにその、もう夕方遅くなるまでその、おかげ頂いておられるんですね、私がそりゃその、まぁ何て言うですか、早よ帰えんなさりゃよかっちいうような雰囲気を見せるわけにも、まぁいかんような雰囲気の中にも有り難い敬親会を終わらせて頂いたんですけれども。
まぁ帰られてから直ぐ私は休ませて頂いたんです。そしたらあの二階に幹三郎がやって参りましてから、栄四郎と二人でやって来てからこの頃もう久し振りで足を揉んでやろっち言うて言う訳なんです。幹三郎が今日私の所に来たのは今日おかげ頂いて酔わじゃったって。今日はあのもう必ず酔うんですねバスに。それが福岡へ今日見学の旅行にいっとるんですけども、もう他の者な酔うたけれどもね僕だけは酔わなかったと。
もうあの酔うとを見とってから、少し酔う気分がしたけれども、金光様金光様ちいよったら酔わんじゃ、酔わんじゃったっち言ってからその、私の足を揉んでくれながら、その、足を揉んでくれるんですね、私寝ながらおかげ頂いてから有り難うございました、昨日から、もう前の日から家内がお取次ぎを頂き、自分も本人もお願いをしてあったんですから、寝ながらその事を、まぁ言うならお取次ぎさせてもろう手から、無事にまぁ楽しゅうおかげを頂いたことをお礼申させて頂きよりましたらね。
もう不思議に、嘘のように良くなったんですから私が。ね、これ何時も感じることでございますけれども、ははぁ私が今日はあの、午後からこの気分が悪かったり何かこう、胸先がつかえたように、とうとうだから今日夕御飯を頂かんなりでございますが、このむかむかするのはお祭り替えを頂いておったなぁ、と私がこう思うんですね。つくづくそう言う様な事も。
そんならまた、その必ずそう言う事ば同じこと、ばっかりかと言うそうではないけれどもです、ならあんた時は腑が良かったっちゃろう。それで酔わじゃったじゃろうと、今度また次には言おうとあんた。思ったりも、そのお祭りが、何かもうなかったと言ったような疑えば限りがないけれどもしかし、私共信心させて頂く者は実感としてですたい、おかげを頂いておるなぁという事を感じるのです。
私共はそういう意味合いでですね、分からん事が沢山ありますよ。だからそこんところをです、そういう例えば一つの金光様の祈りの中に、お取次ぎのお徳の中にです、そりゃ様々な事がありましょう。ね、お願いしとったばってん酔うたと。お願いしとったら酔わんじゃったと、と言った様な事も言うならあるかも知れません、けどもその中にです私共では分からん、神様の働きを受けておる事だけは間違いのない事ですね。
だからそこに、どのような場合でも、おかげを受けて有り難しと、言うことにならなければならない。今日午前中、私がもう百何十名でしたか、お取次ぎを、させて頂いておる中に、もう本当にあそこにに、4、5人はですね、私の方が、貰い泣きするごたる苦しいお願いですね。もう経済的に、どうにもこうにも出来ない、一家中心中せんならんごとなっておられるという。ね、
健康の上にも、体の上にもです、もう実にそれはもう、聞くも哀れなお話なんです。ね、商売は繁盛しない、お父さんは、もうノイローゼ気味でおられる。自分は何処に働きに行くけれども、二日も行ったら断られる。その息子さんが、今日参って来たんですけれども、話聞きよってから、もうどうした哀れな事ねて私は、まぁ言い、思いしたことでございますけれども。
そういう、その難儀の中にですね、私共がこうおかげを頂いておるんですけれども、お取次ぎさせて頂いておる時でした、もう本当にもう寒うして応えんと言うのはもう極寒の感じですね、ご心願に頂くのが。それを薄い着物着てからガタガタガタガタその震えておるような姿なんです。なるほどこのままやったらもう凍え死んでしまうかもしれん、震え死んでしまうかもしれんと言うような情景なんです。やっぱりそれでは難儀だろうと思うのです。ね、そこで私信心とはです、ね、
そういうような例えば難儀の中にあっても本気で一生懸命に修行させてもらい、本気でいわば椛目参りを続けるといったような中からです、ね、いわばそのガタガタ震えよったような姿が、ね、今度はなるほど苦しい、けれども有り難いという、言うならぽっぽするようなですたい、体に元気な、と言うか自由をもうとにかく手は凍えてしまって物一つ握られないような状態の中からです、あれもこれも握られるような、体がぽっぽしてくるようなおかげを頂けれるということです。
ね、そういうような、お取次ぎをさせて頂いたんですけれども、お互いでもそうです、なるほど、信心させて頂いたら一切がおかげと言うのはですね、そこの所を、は分からせて頂いて初めておかげなの。ね、どういう難儀な事があってもです、どういう寒いもこういうような事があってもです、なら本気で一生懸命になったらです、ね、それこそ着ておるものは脱い、脱いでもよかごたるその丁度よい
(途中切れ)